2011年10月20日木曜日

プレイベントを終えて~

10月17日、プレイベントを終えて、土井由紀子さんと大塚朝子さんを囲ってささやかな食事会を開いた。
といってもАgora子ども美術工場でサポーターがひとり1~2品持ち寄ってのささやかな会。
どこかの飲み屋かどっかで食事、お酒を飲みながらの会を想像するだろうが、KAМEの翼のメンバー達は、熱い話が炸裂し、時間の区切りある場所では主旨がぼける。
そして何処よりもゆったりと気兼ねしない場所で、個々の手作りの食事はやさしさが詰まっていてなんとなくいいのだ。
そんなこんなで、おいしい食事をいただいてフリートーキングが始まった。
参加者は京都から土井さん、大塚さん、東京からリーフレットを担当した丸山さん、そして静岡メンバーの渋垂先生、辻さん、木村さん、原田君、私寺田と新しくメンバーに入った藤原君の9人。


 突然原発の話が始まった。
「東京のぼくの住んでいる地区では、剪定した木を市がチップにしてくれるんだけれど、検査の結果廃材から高濃度のセシウムが検出されたようで、市がその剪定した木などをチップにすることを引き受けなくなった。風評被害ってどうなんだ?
福島も群馬も茨城も大丈夫というが、東京で出ていること・・・原発について国や東電は、メルトダウンの話を伝えた時期が遅すぎる、そのことはいち早く分かっていたことではないのか・・・」
「駿河湾まで海から放射能が検出されている・・・」
「菅直人がいなくなって、野田さんがいった言葉・・・大丈夫な原発を!・・・それでいいのか?」
などなど原発論争は終わらない。
すると若き意見が出た。
「原発と交通事故の死者の問題、産業が発展するには、今のところ原発はやめれないでしょう。」
「いや~それは違う!原発についてどうするか?どう思うか?という問題で、交通事故の話と並べたてる話ではない。原発を持ってはいけない。人間は踏み入れてはいけない領域がある」
「でもこのたくさんの人口を支えるのは、産業が大事で、そのためにはエネルギー確保が大事で、今はまだ原発でしかまかなえない・・・それにいつかきっと人間は核融合を成功させる。すると安全な原発を作ることが出来る」
「核融合の技術を本格的に使うには30年余り、まだ年月が必要だろう。それまで危ない原子炉を動かし続けるのか?」
「たとえ今原発を停止したとしても、原子炉をとめてしまうことは出来ない。原子炉は10年間は動かさなければいけないようだ・・・30年後の核融合ができるまで、原発を動かし続けることは、先送りして、危険な状態をずっとさらしているだけなんだよ・・・」
「でも原発で働いて雇用を確保している人はどうなるんですか?原発のお蔭で生きているんではないんですか?」
「原発が最初からあったわけではない。原発を推進する方向性・・国や電力会社からの圧力、豊かさの引き換え、お金の保障と危険との関係・・・」
「NOといえるかいえないか・・・自分は原発についてどう思うかが大事だ。」

そのうちに科学の発展について話が広がる。
「クローン技術、IPS細胞、透析・・・科学の発展は、人の命を救っている。だからクローンもたくさんの人の命を救うには大事なことです。」
「いや、それはだめでしょう。人間は触ってはいけないものに手を出してはいけない。透析も一見命を救われているように見えて、人間の尊厳を奪っているような気がする。長く生きることが大事とか、命があっても生かされて依存しながら生きることは本当にいいのだろうか?医療の問題点もそこにある。原発だってそうだ・・・ウランをネイティブアメリカンは触ってはいけないものとしてたのに白人が見つけ、使ってしまった。そのことによってレントゲン、治療に確かに光を見出したかもしれないが、その光の後ろには大きな影が存在する。今私達は問われているんだ。どうするか・・・」
「でも人は火を使ってしまった。でも豊かさは得たでしょう。」
「火と原発は違う」
「手塚治虫氏が「火の鳥」で言ったように、宮崎駿が「もののけ姫」で伝えたように・・・ライ病で苦しむ人のために永遠の命が得られる・・・デイダラボッチの首をしとめようとしたこと、猪がたたり神になってしまったこと、その結末は、たたり神になてしまった猪は、デイダラボッチに息を吹きかけられ死んでしまう。生きとし生けるもの・・・自然の摂理をゆがましてしまうことがいいのかどうか、永遠の命、苦しみを救うためにやってはいけないことに手を出してもいいのか・・・」
結論はでないがたいへん熱いトークが交わされた。

その後土井さんと大塚さんに今回のプレイベントについて話を聞いた。
土井
「このプレイベントの体験を経て、今自分の仕事(子ども美術教室)で、子供達に対して、ゆとりを持って関わっている自分に気付く。どんなことが・・・?と問われるとまだ何もいえないが、少しそんな変化を感じる。
制作活動については集中できた。ハードだったが向き合った。
今回の体験で、自分の性質をいやというほど知り、また発見することもあった。」
大塚
「一ヶ月は短い。ハードだった。初めての場所でのプレッシャーもあったかも知れない。私の場合、、一ヶ月おいてから展示したかった。
ここで人と関わることは、分かっていたが、実際人が来ると、一日が早く、また変化がありすぎて・・・もっと自分をオープンにするべきだと分かっていても、自分は逆に閉鎖的になっていく。
自分は距離を置いて作品を作るという形しか出来なくて、人と関わっていられなかった。それはよくないと分かっていても遮断する自分がいて、・・そんな自分をわがままだとも思った。
作品が出来たから、これで良しということではなく、私は作品を作ってからも振り返ったり、展示の仕方を考えるのに時間がほしいので、今回の制作1ヶ月して、その後すぐに展示するということは私にとってハード。
でもこのプレイベントに参加してよかった。」

そのふたりの意見に渋垂氏は、「今後作品と展示の期間を考えよう。そして今の意見を来年からのイベントに加味していこう。しかしこのイベントは、評価されるとかいう作品展ではなく、この試みは今後の君達への通過点であり、また体験の一こまであり、今後の糧となることだと思っている。」と伝えた。
そして「表現することは社会的行為だということを理解した時、そしてそれが成し遂げた時にアーティストとして呼べるんだと思う。」と述べた。

長い長いフリートークの食事会だったが、それぞれが充実した時間を持ったといっていた。
大塚さん、土井さんお疲れ様でした。

10月17日を持ちまして土井由紀子&大塚朝子の作品は本人の元に帰って行きました。
女川資料展は、今もなお、Аgora子ども美術工場アトリエ二階で展示しています。
被災地・女川町の状況を、ただいま4月から9月19日の半年間を展示しています。
そのつど新しい被災地・女川町の情報を更新していきますので、時折こちらに足を運んでくださいませ


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