2012年10月10日水曜日

高橋匡太さんのワークショップのお知らせと本当の想像と表現


高橋匡太さんの
光のワーショップ開催!

10月13日(土)14時〜日没まで
巨大カメが空を飛ぶ!?
アゴラ子ども美術工場が七色の光に彩られる♩
是非アゴラに来て下さい!

2011年12月31日、NHKの「ゆく年くる年」で横浜山下公園で復興の光を3000個灯した高橋匡太さんのワークショップです。
アゴラが子どもたちの思いで幻想的な光に包まれます。
この機会をお見逃し無く!
材料費 500円
場所:アゴラ子ども美術工場・掛川市千羽1679(JA掛川市緑茶加工近く)

                  高橋さんの表現が生まれる♩





本当の表現者

表現するという意味を考えた事がありますか?
表現者という言葉があるように、アートの世界、芸術の世界において表現て言う言葉を使われる。
では、普通の人が何か思い形づける事を表現と言えないのか?
表現という価値は何処にあるのか?
表現は、芸大にいったものが行う制作活動だけではないと私は思う。
表現は、いろんな人が持つ自分を表す手段だと思う。
ならば本物の表現者とはどういう人を言うのだろう?
それは想像を繰り広げられる人の事を言うのではないだろうか?
いろんな立場の人がいて、その人がどんな立場にいて、どんな状況にいて、どんな思いなのか?その細分にまで意識が出来る人の事を言うのではないだろうか。
自分を表現するという事は、ついつい自分を出す事で、自分を認めてもらう事だと思ってしまう。私もそう言う感じになるときがある・・・
けれど、自分自分と主張して他の存在を見誤まることで表現の幅を狭めてしまっている。

アゴラの中学3年生のK君の話。
K君はアゴラの渋垂先生が事故に巻き込まれた時、心のから悲しんだ。
悲しくてどうしていいのかわからなくなった。
でも先生と10年間過ごしたアゴラに行きたい、先生がいなくとも先生を感じたいと先生のいないアゴラにやってきた。
そしてその日は先生の事を心配して話して、先生に手紙を書いた。
そして先生のところに見舞いにいった。
一週間後のアゴラの教室の時、K君は一眼レフのカメラを持ってきた。
先生が大好きなアゴラの自然の写真を撮ってベットの上の先生に見せたいと。
そしてその後先生をまた見舞った。
牽引されている身動きできない先生の手を取り、K君は自然に自分の頬に引き寄せた。
「先生痛いね、大丈夫?大事にしてね。」と言葉をかけた。
先生は泣いた。うれしくて泣いた。そして感動した。

表現するという事は、どういう事か・・・
本当の表現者はK君かもしれない。
渋垂先生は言った。
今自分が何を思い、何をするか?大事なものは何か?
一瞬一瞬の出来事の中に人は存在している。
その時をいかに大事にして、いかに自分と関わりを持つ人間やものと関係性を保ち、その関係する人の事と自分と、その自分と関わってきた存在すべてに意識を払い行動するか・・・
その行動こそが、表現であり、真の表現者であると渋垂先生は言う。
そして私も間近で見て思う。

想像は広がりであり、可能性であり、純粋であり〜。
そしてその想像に本気を見た時、(ものに対する扱い方、向き合い方、作品の細分含めて)その人はちゃんと認められていくんだと、そして表現者と言われていくのだろうと。

by terada

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