2012年8月14日火曜日

KAMEの翼プロジェクト、福島報告&フリートーキング NO2


 奥から渡辺重幸さん、渋垂秀夫さん、高橋匡太さん
 奥から木村さん、去年制作者の土井由紀子、西上さん、去年制作者の大塚朝子さん
今年制作者の加藤さんと大見さん
8月11日午後1時からフリートーキングが行われた。
「KAMEの翼と今」というタイトルで話は進行する。

―自己紹介&コメント―

加藤さん:「去年制作者の大塚さんにこのKAMEの翼の事を聞いて、とりあえず、12月にここを訪れた。一ヶ月考えた、そして反応してみたいと思い、中原浩大氏に伝えた。

大見:最初は加藤さんについてきただけだった。
アゴラにはこどもがいっぱいいた。興味を持った。私たちの雰囲気を気に入っていただけて、しばらく考えた。レジデンスはやった事がなく、自分にはあわないと思っていた。
けれどいってみようと思った。
今進行形。来てみて毎日が違う。そしてその中で制作して、いろんなことを考えながら思いながら生活してる。いろんなものが・・・自分についていたものがはがれてきた感じがしています。

大塚:粘土で彫刻をつくった。石膏で9個の作品を作った。その作品に色を入れてマーブル状態にしてみたが、色が飛んだので、大きな作品は色を塗った。
作ったが展示しなかった作品がたくさんあった。
私は昼よりも夜に制作し、集中した。

土井:6、7年前からアゴラに行き来している。
5年目の時、滞在して一週間制作させてもらった。そして次の年に滞在制作した。
ここの高校生が納得するまで油絵を描いているのを見て、私も描く事をしてみたいと思った。今度は黒く塗りつぶしてそこを白く抜く作業がしてみたくなった。そしてそんな作品を作った。最初に作った絵本を版画にしてみた。ステンシルで刷る面白さを感じた。その経験から今銅版画を始めている。

高橋:20年前、紙技で渋垂氏と出会った。大学4年生、院生の1、2年生のとき発電機を背負って八ミリビデオを町に投影した。それが原体験になり、光、陰に表現の世界を見いだした。アゴラからがしばらく遠のいていたが、KAMEの翼プロジェクトが生まれた頃、ちょうど3年前にまた交流する事となった。
ここでは「子どもに関わりながら一緒に作る」をテーマにしている。
アゴラは実験場所。アゴラで作った光の実を陸前高田にもっていった。そして陸前高田でも作った。仮設住宅の木に1000個の光の実を灯した。復興の火をライトアップのように派手ではなく、自分たちの手で自分たちの火を灯せた・・・そんな感じで良かった。今年もいろいろ実験が出来ればいい、子どもたちと一緒に作り、思考する。

渡辺:渋垂さんとは長い付き合い。カメパオプロジェクトの時は、インターネットバスを使って外部に発信した。表現というと僕は、書く事で自分を表現してきた。新聞記者をやめて、教育に関わった。その頃は校内暴力のきつい学校の近くでの教育。翻弄される。すると当事者は、なかなか書く事が出来ない。書くという事、表現は、近すぎても難しい、少し離れた所においてみないと客観視できないから。当事者は表現は出来ないと思った。
考えている事は根本的に、若いときと変わらない。ただ年をとってみると知恵ができる。
3・11が起き、原発事故が起きた。僕は物理学者になろうと思っていたので、これは参ったと思ったと同時に原発に動いた。
僕は、疫学的に社会を表現したい。生活者として自然に生活している人を書く。社会を自分の目の前に切り取って社会を表現したいと思っている。

その他に参加者の方々の自己紹介、コメントがあった。
写真家、地元で制作活動している若き美術家、京都芸大の講師、ここの卒業生の帯職人、中学生、様々な方がこのフリートーキングに加わって、自由に話す。

―14日を過ぎてどうですか?―

加藤:横浜に住んでいるので逆にここは刺激的で、気持ちよく、ボーとしてしまう。
制作者としてきているが、いろんな人がここは行き来し、僕を知っている人がいないので変にカッコつけなくていい、素のままでいられる。いろいろここでは話しし・・・宗教、原発、虫の話・・・いろいろ話す。なんか話せる心地よさを感じている。

大見:横浜にいたときは作品が作れず、ここに来て毎日普通に生活していたら、作りたいものが出てきて、はっきりはまだ言えないけれど、良かったな〜って。
アート界との交流が多かった・・・そういう環境からはなれ、今は個人の話をする事が多くなった。以前は虫は駄目だったけれど、カエル、かまきり・・・アブの取り方もマスターできてきた。成長してきています。

渋垂:社会の風通しのいい場所、守られた感覚から外れた場所ですね、ここは。

様々な話で盛り上がり、アーティストも原発の話にも聞き入った。
帰り際、いつもアート制作は社会ときりはなれた所で制作していた。今日は、ダイレクトで、社会に大変即した話だった。制作活動は今までのようなやり方で、自分一人で向き合い表現活動すると思いますが、今日は社会にもっと意識することがあって良かったですと地元の若者アーティストが言った。
もう一人の若き表現者は、KAMEの翼だというので、KAMEはもっとゆっくりだと思っていたのですが、ここはハードで、今日はいっぱいいっぱい詰まってしまって・・・消化しきれなくて・・・そんな声も聞こえた。

確かにここは、社会に向き合った話をちゃんとする場所だと私は思う。
そこが、重いと言えばそうかもしれないけれど、社会に私たちはひとりひとり当たり前のように生きていて、その社会の中の一人であり、その社会の一部なのだから、社会からはなれた所にいて表現する事は、本当は難しい事なのだと思う。難しいという言葉は的確ではないけれど、つまりピントがあうという話かもしれない。
表現する事は、あくまで自分の個の表現をする事かもしれないが、一表現者は、今に生きている事をちゃんと意識していてほしい。
そしてその今を自分の肌で感じ、自分の足で立って、思考する、想像する事をどこかで少しでもやってみると、自分のピントがあってきて、形になっていくんではないだろうか。
KAMEは、確かにゆっくりのんびりだけれど、じっくり、どっしり個を持っている。
そしてじっくりゆっくり咀嚼して、一歩一歩前にちゃんと進んでいる。
海原に出るときも、前足でゆっくりだけど、しっかり砂をかいで海に少しずつ進んで行く。
砂の事、海の事、またここに帰ってくる事をKAMEはちゃんと意識に、肌に・・記憶して生きる。
KAMEにそして翼がついた。空に自由に羽ばたくKAME。
固定観念から外れた。
自由に、そして思いっきり今まで育んでいたもの、自分自身を表現しよう!
ただ・・・社会から私たちは外れた存在ではない。
社会の一部なのだから、社会の出来事は重い話ではない。
自分と同じ人間がその中に生きている。たまたま、そこにその人がいて、私はたまたまそこにはいなかっただけ。
でも重いと思える社会はそこに存在する。その立ち位置だけでも感じて表現しよう。
それが今を生きること。自分の本当を表現すること。

by terada


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